アトピー性皮膚炎の原因は環境汚染か

日本から脱出して外国の田舎に行ったら成人型のアトピー性皮膚炎が良くなった例のいくつかをまとめてみました。
(1)から(5)は当院で経験した患者さんの症例で(6)と(7)はインターネットに掲載されていたものです。
これらの例から成人型アトピー性皮膚炎は大気か水の環境汚染によるのではないかと考えています。

(1) A さん 25才 女性

5才頃からアトピー性皮膚炎に悩まされていた。
湿疹は1年中出来ていたが高校生の頃から冬が特に重くなるようになった。

高校卒業後にアメリカのミネソタのミネアポリスの郊外に1年間滞在しました。
滞在地は工場などのない田舎風のところであったとのことです。
滞在中はアトピー性皮膚炎が全く出ませんでした。

その間1度一時帰国しましたが日本へ帰国するやすぐに再発しました。
しかしミネアポリスに戻ったらすぐに回復しました。
その後日本へ帰国しましたが直ちに再発して平成10年1月以来加療しています。

(2) B さん 20才 女性

4年前から発病しアトピー性皮膚炎に1年中悩まされていました。
平成9年2月から治療をしている患者さんです。

たまたま平成10年の8月下旬からインドネシアに行ってスラバヤおよびバリ島で1か月間の語学研修に受けることになりました。
インドネシアに着くとまもなくアトピー皮膚炎が軽くなり、滞在中皮膚炎が消失していました。
研修の場のスラバヤとバリ島は工場などのない鄙びた田舎であったとのことです。

1か月後日本へ帰国するとすぐに湿疹が再発しました。
平成10年10月よりまた加療しています。

(3) C さん 22才 男性

4年前ごろからアトピー性皮膚炎になって当院で夏と冬に加療していた。
平成10年は2月から9月まで治療していた。
日本出発前はアトピー性皮膚炎が全身に出来ていました。

9月中旬に日本を出発しました。
先ず中国のチベットに3週間滞在しましたがその間にアトピー性皮膚炎の湿疹反応が完全に消失しました。

その後ネパールに1か月滞在さらにインドの北方山岳地帯に3週間滞在しました。
その間約3か月の間はアトピー性皮膚炎が忘れたように消えていました。
上記の3か所は全て文明から程遠い辺鄙な田舎とのことでした。

その後トルコからギリシャそしてイタリアからスペインへと約2か月間旅行しました。
トルコ以後にアトピー性皮膚炎が少しぶり返してきたとのことでした。
トルコからは日本と同じくらいに都会化したところを旅行したとのことでした。

平成11年2月に日本へ帰国しましたが1週間で出発前と同じくらいにアトピー性皮膚炎が悪化したので受診されました。

(4) D さん 29才 女性

小学校の低学年からアトピー性皮膚炎に悩まされていました。
夏と冬に湿疹が悪化していたとのことです。

当院を受診する前は症状の重い時に市内の開業医および総合病院で治療を受けていたとのことでした。
今回は約3週間前から湿疹がひどくなって来たとのことで平成11年2月下旬に受診され加療しています。

患者さんの四肢の膝及び肘の屈側部にアトピー特有の湿疹が出来ていました。
家系的にもアレルギー鼻炎とアトピー性皮膚炎の兄があり、本人はアレルギー鼻炎でもありました。

患者さんが20才から2年間カナダのアルバータ州のエドモントン近郊の田舎の日本語学校の先生をしていました。
カナダ滞在中の2年間アトピー性皮膚炎とアレルギー性鼻炎が全く発症しなかったとのことです。
カナダから日本へ帰国するとまもなく以前のように再びアトピー性皮膚炎もアレルギー性鼻炎も出るようになりました。

(5) E さん 23才 女性

生後まもなくよりアトピー性皮膚炎に悩まされています。
湿疹反応は年中あり冬がよくないとのことです。

高校生の頃はやや軽かったとのことですが高卒後に再び悪化しました。
その頃は静岡市内の某医院で治療を受けていました。
一昨年(1997年)の4月から昨年(1998年)の2月までイギリス南部のウエールズに近いイングランドの田舎のチェルトナムに住んでいました。

チェルトナムに住み始めた頃は良くなかったのですが8月ごろから湿疹反応が全く無くなったとのことです。
昨年の3月に帰国し半年は良かったのですが昨年12月頃から再発し5月8日から加療しています。

(6) F さん 女性か

初めて10日間のインド旅行の時です。
出発前はじゅくじゅくして滲出液が出ていた状態のアトピー皮膚炎が旅行中にみるみる良くなってゆきました。
そして日本へ帰国した時には完治に近い状態になりました。
しかしその後徐々に元の状態に戻ってしまいました。

その後退職してフランスへ行きました。
フランスでは日本に居るときと同様でアトピー皮膚炎はじゅくじゅくした状態でした。

フランスから西アフリカへ渡ったところとたんに症状が軽快して3か月滞在しているうちに完治しました。
アフリカでは風呂には入れず砂まみれ汗まみれの生活でしたがアトピー性皮膚炎が消えたとのことです。

帰国後は前回同様で再発して元に戻ってしまいました。
その後西アフリカに数か月滞在する機会がありましたがその時も完治しました。

その後ヨーロッパにしばしば1か月とか2か月連続して滞在することがありましたが湿疹は消えませんでした。
しかし事情あってアフリカと日本を行ったり来たりの生活が続きましたがアフリカに居ると良くなり日本に帰ると悪くなるを繰り返しました。
ここ1年は日本にいるのでアトピー性皮膚炎が今までの中で最も悪い状態とのことでした。

(7) G さん 男性か

アトピー性皮膚炎が27才に発病してその後6年間悩まされていました。
平成7年6月からインドネシアのジャカルタ駐在員になりました。

インドネシアに滞在後2か月ぐらいで殆どアトピー性皮膚炎が消えました。
1年半後には普通の人と変わらなくなりました。
しかし日本に一時帰国すると2−3日で再発し1週間もいると以前日本に居た時と同じぐらいになったとのことでした。

日本国内の人口密集の大都市と過疎の田舎のアトピー性皮膚炎の発生件数を比較した文献によると大都市は田舎の2倍から3倍多いとのことです。
国内でも都会から田舎へ転居したら良くなったというケースが2例ありました。
1例は当院の患者さんでもう1例はインターネットでのケースです。

(8) H さん 32才 女性

アトピー性皮膚炎は小学校4年ごろに発病しました。
25才ぐらいからやや軽くなってきました。
冬に悪化するタイプです。

平成9年5月初診で現在も治療しています。
横浜市から静岡市へ転居して来た患者さんですが横浜に住んでいた時よりは湿疹が軽くなったとのことです。
自分だけでなく都会から帰省したアトピー皮膚炎の親戚の人たちも皆良くなるとのことでした。

患者さんの故郷は長崎県の諫早市の多良岳の麓の実家に帰省するとアトピー性皮膚炎が必ず良くなるとのことでした。
もちろん工場などが全くないバス路線もない鄙びたところとのことです。

(9) I さん 男性か

横浜市の国道1号線沿いのマンションに住んで東京都内の会社に通っていた時にはアトピー性皮膚炎が重症でした。
その後相模原市の新しい社宅に転居したところ半年くらいでアトピー性皮膚炎が殆どよくなりました。
その後市内の会社に勤めていた時にはアトピー性皮膚炎が出なかったのですが東京都内の学校へ通うようになったら再発したとのことです。

わが国の大気と水の汚染の可能性を戦後の経済成長の歴史を振り返って考えてみました。
下記のデーターから大気と水が汚染されるのは当然と思えませんか。
アトピー性皮膚炎
の発症と関係があるかどうか考えてみて下さい。

年月 景気の動向 産業の設備投資額
1945年8月 終戦。
1950年 朝鮮戦争による特需景気始まる。
1955年 神武景気おこる。 7000万円
1959年 岩戸景気おこる。 1兆5000万円
1964年 東京オリンピック景気。
1966年 いざなぎ景気おこる。 2兆2000万円
1973年10月 第一次オイルショック。 6兆3000万円
1979年 第二次オイルショック。 9兆6000万円
1986年 バブル経済始まる。
1990年 バブル経済崩壊。


経済成長に連れ設備投資がどんどん多くなっています。
1980年には10兆5000万円の投資がありました。
資源をどんどん使い不要になったものは廃棄物としてどんどん廃棄されました。
そして大気と水を汚しました。

わが国の石油製品消費量
1950年 182万キロリットル
1960年 2598万キロリットル
1970年 1億8044万キロリットル
1980年 2億1508万キロリットル
1990年 2億1717万キロリットル
1997年 2億4527万キロリットル


石油製品とはガソリン、ナフサ、ジェット燃料油、灯油、軽油、重油のことです。
主として燃料として使われ一部はえちれん・プロピレンなどの製造原料になります。
燃やせば大気の汚染につながります。
1997年の石油製品消費量は1950年の134・8倍と増えています。

* 日本国内の自動車の供給台数 日本国内の自動車の保有台数
1950年 6万台 41万台
1960年 71万台 *
1970年 423万台 1822万台
1980年 512万台 3809万台
1990年 791万台 5750万台
1998年 579万台 7228万台

日本国内に供給された自動車は石油を燃料として走り排気ガスを出します。
自動車の供給台数でみると1998年は1950年の96.5倍(約100倍)です。
自動車の保有台数でみるとさらに多くて176・3倍になっています。

火力発電の燃料 石炭 石油(重油・原油)
1960年 1660万トン 496万キロリットル
1970年 1882万トン 4189万キロリットル
1980年 978万トン 4912万キロリットル
1990年 2724万トン 4168万キロリットル
1997年 4633万トン 2645万キロリットル


発電の中の約6割を占める火力発電は毎年2000万トン以上の石炭と4000万キロリットル以上の石油の化石燃料を燃やして作られています。

わが国の使用電力量
1950年 350億キロワット時
1960年 994億キロワット時
1970年 3197億キロワット時
1980年 5203億キロワット時
1990年 7656億キロワット時
1997年 9265億キロワット時


使用電力は年々どんどん増えています。
いずれは廃棄物になる製品が大量に製造されていることが想像できます。
1997年の使用電力料は1950年の26・5倍に増えています。

重化学工業と軽工業の出荷額
1949年 1兆4270億円
1951年 4兆10億円
1960年 15兆5790億円
1970年 69兆350億円
1980年 214兆7000億円
1990年 327兆930億円
1996年 316兆436億円


重化学工業は金属工業、機械工業、化学工業で軽工業は食料品工業、繊維工業、窯業です。
どんどん出荷されどんどん消費され不要のものはどんどん廃棄物になっているものと思います。
1996年の総出荷額は1949年の22・2倍と増えています。

プラスチック 生産量 国内消費量 国民1人あたりの消費量
1950年 3万トン * *
1960年 55万トン 55万トン 5.8キログラム
1970年 513万トン 408万トン 39.3キログラム
1980年 752万トン 670万トン 57.2キログラム
1990年 1263万トン 1144万トン 92.4キログラム
1997年 1521万トン 1226万トン 97.2キログラム


ごみ廃棄物の中で問題のプラスチックもどんどん製造されどんどん消費されています。
パソコンなども新しくなるたびに旧機能を変更してしまう傾向が強く古い機器が使えなくなってしまいます。
産業界がこの姿勢を改め環境汚染に貢献しないような配慮をして欲しいと思います。
1997年のプラスチックの生産量は1950年の何と507倍になっています。

現在は景気が悪いのでリサイクル問題が注目されて環境改善に目を向けているようです。
しかし景気が回復して行くと再びプラスチックの生産料と消費量が増えて環境悪化の方向に向かうのではと心配です。

このファイルの一部を1999年7月3日(土曜)の第64回日本皮膚科学会静岡地方会で講演しました。

参考文献


日本国勢図会第57版(1999年) 国勢社 1999年6月1日発行
日本国勢図会第56版(1998年) 国勢社 1998年6月1日発行
日本国勢図会第50版(1992年) 国勢社 1992年6月1日発行
日本国勢図会第12版(1954年) 国勢社 1954年発行(静岡県立図書館蔵)
日本国勢図会第11版(1952年) 国勢社 1952年発行(静岡県立図書館蔵)
日本史必修用語辞典 文英堂 1999年発行第4刷
皮膚科の臨床 第40巻第6号臨時増刊 アトピー性皮膚炎のトピックス 1998年5月31日発行

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