いぼ取り仁王(石尾山善福寺)
千葉県山武郡九十九里町粟生1125


いぼ神様訪問旅を始めて7年になります。2005年12月には「いぼとり神様・仏様」の本も出版しました。その本にはネット検索を中心に見つけた日本全国にあるいぼ神様の555か所のリストを掲載しました。その後現在までにさらに見つかり本日現在では737か所になりました。まだまだ沢山のいぼ神様があると確信しています。

700余のいぼ神様の中で最も多いのが地蔵菩薩ですが、その他観音菩薩・薬師如来・不動明王・神社・小祠・いぼ石・供養塔などさまざまですが仁王がいぼ神様なのは現在のところ石尾山善福寺にある仁王様だけなのです。どうしてもこの仁王様に一目会いたくてゴールデン連休を利用して九十九里町粟生(あお)を目指しました。

目指す仁王像は善福寺の本堂前にありました。本堂前にある仁王像は江戸松屋町の石工上総屋仁兵衛の作で粟生の名主であった飯高家の飯高十兵衛が粟生面足神社(大六天宮)に奉納したもので「石仏漫歩〜千葉県の石仏」によると明治2年の神仏分離令によって善福寺に移されたとのことです。現在面高神社にも石工上総屋仁兵衛作の狛犬があるとのことです。

仁王は上半身裸形で裳を着け金剛杵(こんごうしょ)を持って憤怒の顔で筋肉隆々で仏陀を守護する力士です。仏法を守護し邪悪を退ける像として寺門や須弥壇の左右に置かれます。仁王と書かれることが多いが二王とするのが正しいとのことです。また金剛力士といわれることもあります。口を大きく開ける阿形像(あぎょうぞう)と口を閉じる吽形像(うんぎょうぞう)と一対になっています。

善福寺のご本堂 本堂の階段の両側に仁王像
善福寺のご本堂 本堂の階段の両側に仁王像


本堂の前の九十九里町教育委員会の石造金剛力士像阿吽一対の説明板には『この金剛力士像は、宝暦10年(1760)江戸松屋町の石工上総屋仁兵衛の作である。古文書によれば、宝暦六年、粟生の表飯高十兵衛が蒲沼宮免の収益金を資とし、不足金八両を助力して造立したが、十兵衛とのみ刻して第六天社に奉納したため、村内から苦情が出、台座の文字を「惣氏子 助力願主飯高氏」と刻みなおして決着したという。金剛力士像は寺門の左右を警護することから、後に別当の善福寺に移され、近年の寺堂改修の際、現在位置に安置されたものである。』とありました。

向かって左側に吽形の仁王像 向かって右側に阿形の仁王像
向かって左側に吽形の仁王像 向かって右側に阿形の仁王像


いつの頃からかいぼ取り仁王様として信仰され、イボの出来た部位をさすり仁王様の同じ部位をさすっていぼとり祈願をしたといわれて居ます。現在は善福寺はもちろん九十九里町にとっても貴重な文化遺産ですから、ウイルス性いぼは祈りによって治るのですから仁王像に触れたりさすったりせずに医療機関での治療に加えて真剣にイボ治癒を祈願して下さい。
                                      (写真撮影は2007年4月29日)

善福寺にいぼとり祈願に立ち寄られた方は檜で作られた記念品を頂くことをおすすめします。仁王様の記念品に触れて毎日いぼとり祈願を真剣にすれば疣ウイルスに対する免疫が成立しきっと早く治ると思います。
以下の写真はいぼとり仁王さま訪問後にご住職さまから贈って頂いた根付などの檜製の記念品です。

右が阿形の仁王さま、左が吽形の仁王さま 善福寺と仁王様の檜つくりの根付
右が阿形の仁王さま、左が吽形の仁王さま 善福寺と仁王様の檜つくりの根付
仁王の根付の表面は吽形の仁王さま 仁王の根付の裏面は阿形の仁王さま
仁王の根付の表面は吽形の仁王さま 仁王の根付の裏面は阿形の仁王さま

                                    (写真撮影2007年6月14日)

善福寺へのアクセスGoogle Map

善福寺は
1)県道75号線(東金豊海線)の貝塚交差点を北東に県道123号線(一宮片貝線)を600m走った西側約100mにあります。
2)県道25号線(東金片貝線)の西交差点を南西に県道123号線(一宮片貝線)を1800mは知った西側約100mにあります。

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