真倉不動の稚児ケ滝
京都府舞鶴市真倉橋谷


 隣県の豊岡市内に住むSさんから頂いた資料をもとに作成しました。
国道27号線(福井県敦賀市と京都府京丹波市結ぶ国道)を綾部市黒谷から舞鶴市に入ったところが真倉です。
真倉に入ってすぐ、JR舞鶴線橋梁近くの伊佐津川にかかる一の瀬橋の北詰が稚児ケ滝の林道入口です。
橋谷林道入口には『紫竹山稚児ケ滝不動明王参道入り口 祭礼七月ニ十八日』の大きな案内看板が立っています。
稚児ケ滝不動明王は真倉不動あるいは真倉の不動さんと言われています。
林道を谷川に沿って徒歩7~10分で不動明王参道の一の鳥居に着きます。

伊佐津川に架かる一の瀬橋の北詰
橋谷林道入口に立つ稚児ケ滝の案内看板
中央にJR舞鶴線の橋梁が見える
稚児ケ滝不動明王の一の鳥居
鳥居に向かって右側の突き当たりに滝がある
一番奥の滝の右岸に小さな鳥居と不動明王の祠
祠の後部に滝が見える


 稚児ケ滝は何段かに分かれていて、全体の高さは20mほどです。
滝の右岸には祠ががあり、身の丈15cmの小さな不動明王が祀られている。
また滝中段の左岸にも不動明王の石像が祀られています。
石像の身の丈は90cm、光背を含む全体の高さは120cmある。
滝の水と小石を持ち帰り、その水をイボに塗り小石でこするとイボ治るといわれています。

不動明王の祠に向かって右側の滝
滝の中断の左岸にある不動明王
不動明王の祠の拡大
祠の中に祀られた不動明王


 稚児ケ滝の名前の由来ですが、この不動の場所が安倍宗任の一子・千世童子を葬ったところと言われています。
安倍宗任は康平5年(1062年)の前九年の役で降伏して、康平7年(1064年)に伊予に配流されました。
史実とは異なりますが、伊予から京都へ戻った安倍宗任の隠れ家といわれています。(2015年11月13日記)

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