石 御薬石(蛸薬師堂・永福寺)
〜京都市中京区新京極〜


当院スタッフのAさんが京都旅行でたまたま立ち寄った新京極の蛸薬師堂がいぼとりの御利益があるようだとの情報を教えてくれました。京都で30年前に学生生活を過ごし10年余も生活していたのに全く知らないことでした。蛸薬師堂は新京極通りと蛸薬師通りの交差点の東側にありました。蛸薬師堂(たこやくしどう)すなわち永福寺(えいふくじ)は正しくは瑠璃光山林秀院永福寺といい、元は二条室町(現在の蛸薬師町か)にあったものが天正年間(1573−1592)に当地に移転されました。永福寺は通称を蛸薬師堂といい京都12薬師の第12番札所です。

新京極通と蛸薬師通の交差点 蛸薬師堂の山門
新京極通と蛸薬師通の交差点
にある蛸薬師堂
蛸薬師堂の山門


平安時代末期安徳天皇御世の1181年(養和元年)に室町に住んでいた大金持が出家して林秀と号しました。林秀は薬師如来を長年深く信仰したところ、薬師如来の夢枕のお告げによって山中に埋められた薬師如来の石仏を見つけました。この御尊像を持ち帰って六間四面の堂を作って永福寺と名付けました。いぼ取りの方法は蛸薬師堂に祈祷奉納された御薬石(おやくせき)でいぼをさするといぼが取れるといわれています。御薬石の志納料は5000円よりとのことでした。「いぼとり」よりも「諸願平癒」「心身健全」「厄難減除」「諸願成就」「安産子宝」と京都の庶民に心から愛されている薬師如来です。

薬師如来 御薬石
中央が薬師如来 薬師如来の前の御薬石


目の前で「おんころころ せんだり まとうぎ そわか」と薬師様の真言を繰り返す若い女性がお祈りを熱心にしていました。御住職から頂いた「蛸薬師如来縁起」に次のような親孝行のお話が書かれていました。御深草天皇御世の建長年間(1249年ー1256年)に善光という僧が当寺に住んでいました。あるとき、母が病気になったのでお寺に迎えて看病しました。弱った母が「子供の頃から好きだった蛸を食べると病気が良くなるかもしれない。」といいました。善光は僧侶の身ですから蛸を買うことが出来ないので悩みに悩みました。しかし病弱の母のことを思うあまり箱を抱えて市場に出掛けて蛸を買ってしまいました。これを見た人々は僧侶が戒めに背いて生魚を買ったことに不審を抱いて善光のあとをつけました。

寺の門前まで来た時に箱の中を見せるようにと善光を責めました。善光は断ることが出来ず、「この蛸は母の病気が良くなることを思って買ったものです。薬師如来様、この難をなにとぞお助けください。」と一心に祈って箱を開けました。すると蛸の八本の足が八巻の経軸に変わりました。経巻は霊光を四方に照らしたので人々は皆手を合わせて「南無薬師瑠璃光如来」と称えました。すると経巻が蛸になって飛び跳ねて御池(現在の御池通りの御池)に入って薬師如来のお姿になりました。そして瑠璃光を放ち善光の母を照らしました。善光の母の病気はたちどころに回復し「南無瑠璃光如来。南無瑠璃光如来。南無瑠璃光如来。」と連称しました。このときからこの薬師如来が蛸薬師あるいは水上薬師といわれるようになったそうです.。(2002年1月3日記)

浄土宗西山深草派蛸薬師堂(永福寺)

京都市中京区新京極通蛸薬師下る東側町503
本尊薬師如来石像

蛸薬師堂へのアクセス

JRにて

JR新幹線京都駅下車地下鉄烏丸線で四条烏丸駅で下車。徒歩約600mで新京極通左折して300mほど北上すると右側が蛸薬師堂。

阪急電車にて

阪急河原町駅下車して西側から四条通に出れば新京極は目の前です。

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