(写真は2007年4月12日撮影) 毘沙門天の鳥居の前の水之尾毘沙門天の説明版には日本語と英語での説明がありました。 『ここ風祭字水之尾は俗に石切山と言われ、昔から小田原石の産地として知られていた。 伝承によれば、小田原北条氏の頃、小田原城修築のため城石の切出し中に、突然巨石の間から血が流れ出た。 そしてその夜毘沙門天が夢枕に立ち、「我が身を傷つけるな。しからばお前を守護してやろう。」といった。 そこで石切出しを中止し、この自然石を本尊として、毘沙門天を祀ったという。 江戸時代になって、この話を聞いた小田原城主が、毘沙門堂を創建したという(元禄15年・1702年)。 毎年正月初寅の日にご祈祷が行われ、寅年の4月には本尊が開帳され、多くの参詣者が訪れる。』とありました。 鳥居の横には十台ほどの駐車場があり、駐車場奥から左へ70段ほどの急な石段を登ったところにお目当ての毘沙門堂がありました。 毘沙門堂の後ろには大きな岩がありました。 このあたりの言い伝えによると毘沙門様にいぼとりを御願いして、毘沙門堂にある石にイボの手をこすりつけるとイボが取れるといわれています。 参考にしたサイトの『おだわらよもやま話』によると毘沙門堂には、高さ60センチほどの毘沙門天立像が安置されているそうです。 お堂の正式な名称は「水峯庵毘沙門天」といい、風祭の永禄山寶泉寺に属し、天正年間(1573〜1591年)の建立と伝えられています。 毘沙門天は多聞天ともいいます。 多聞天は四天王では東方持国天、南方増長天、西方広目天、北方多聞天で北方の守護神、また十二天では東方帝釈天、東南火天、南方焔摩天、南西羅刹天、西方水天、西北風天、北方多聞天、北東伊舎那天、上方梵天、下方地天、それに日天と月天が入ります。 この四天王と十二天ともに北方の守護神で、この毘沙門天は小田原城の北の守り神なのです。(2007年12月末紀) 2015年10月10日(土曜)に開催されたJR東海主催のさわやかウォーキング〜城下町小田原の技と味に触れるまち歩きとおでん祭〜に参加の途中で寄り道をしました。 ウォーキングのコース途中〜からたちの花の小径(白秋童謡の散歩道〜を終わった水之尾バス停近くでコース案内の方に断って水之尾の毘沙門天に向かいました。 小田原競輪の選手宿舎のサンサンンヒルズ小田原前を通り、桜沢バス停を過ぎた角の壁に案内図があり〜水之尾毘沙門天まで240m〜と記載されていました。
水之尾北向毘沙門堂には8年ぶりの再訪で、8年前と変わらぬ姿でお目にかかれました。 毘沙門堂に向かって右側の岩の前に金属性の補強板がありました。 毘沙門堂正面の看板(参詣者の方へ)には以下のように書かれていました。 〜最近 お猿が お供え物を 食べ荒らす様になりました お菓子、果物等のお供えは お控え下さる様 お願いします *お酒は大丈夫です (お猿はお酒を飲まない様です)〜 もうひとつ、毘沙門堂に向かって左方向に建物がありました。 7年前の訪問時に気が付かなったのか建物の玄関に『毘沙門天會場』の看板がありました。(2015年10月18日記)
北向き毘沙門天・いぼ神様の地図→Google Map
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