阿弥陀如来・いぼとり地蔵
静岡県周知郡森町三倉(戦国夢街道)
2010年4月26日更新


県道63号線の三倉の一の瀬橋の近くの駐車場にマイカーを置いて戦国夢街道(塩の道)歩きました。いぼとり地蔵のある所までは約1kmです。戦国夢街道ハイキングコースの歩道を少し登ると、自動車の通れる道に出ます。しばらく歩くと万歳坂です。徳川家康の軍と戦った武田方の天野軍が勝どきをあげたところです。いぼとり地蔵は花立宅のすぐ北側で、昔花立小屋のあったところのちょっと手前にありました。

三倉の一ノ瀬橋、突き当たりの左方に駐車場 建物の背部に戦国夢街道の上り口
三倉の一ノ瀬橋、突き当たりの左方に駐車場 建物の背部に戦国夢街道の上り口
夢街道入口からいぼとり地蔵まで約1km 花立宅北側のトイレ手前にいぼとり地蔵
夢街道入口からいぼとり地蔵まで約1km 花立宅北側のトイレ手前にいぼとり地蔵


 いぼとり地蔵は阿弥陀如来の道標で右あきは、左光明寺と彫られていました。阿弥陀如来がいぼとりなのは茨城県に多く見られることはブログで紹介しました。松ぼっくりを糸に連ねて祈願したといわれています。まつぼっくりを願いに使用するところがこの近くの浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺のいぼ地蔵浜松市南区倉松町の辻地蔵愛知県豊橋市石巻本町嵯峨の春興院のいぼとり地蔵も同様です。夢街道の山道には沢山の松かさが落ちていました。

右方向から見たいぼとり地蔵 左方向から見たいぼとり地蔵
右方向から見たいぼとり地蔵 左方向から見たいぼとり地蔵
正面から見たいぼとり地蔵 いぼとり地蔵の拡大、右あきはと刻名
正面から見たいぼとり地蔵 いぼとり地蔵の拡大、右あきはと刻名
(写真撮影2010年4月8日)

戦国夢街道推進委員会の阿弥陀像の道標の説明〜ここは、秋葉街道と光明山への街道の分岐点にあたるので、この阿弥陀像は、旅人の安全と村の平穏無事を祈願し、道標として建てられたものである。昔、光明寺は天竜市鏡山地区の山頂にあり、明鏡山光明寺という古刹である。秋葉、春埜と並び称され、修験の山と言われる遠州三霊山の一つであった。参詣する人々は、乙丸から大久保、中山を右に見て峰小屋を経て光明山へと歩いたのである。この道標の阿弥陀像は、光背から台座まで一本の石材で造られ、表面には、道標として「右 あきは 左光明山」と刻銘がされている。後に、阿弥陀像を、土地の人々は「イボ取り地蔵」と崇め親しみ、松ぼっくりを糸に連ねて願いをかけ供えてきた。この阿弥陀像は、長い間、花立家の代々の当主により鄭重にまつられている。

いぼとり地蔵へのアクセス→GooGleMap

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