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延命地蔵(いぼとり地蔵)
〜横浜市栄区小菅ヶ谷3〜 |
インターネット検索で横浜市栄区のホームページの「歴史・名所・ハイキング」-「わが街自慢・小菅ヶ谷地区・春日神社」の説明のところにいぼとり地蔵を見つけました。<春日神社そばには、市内最古という通称「いぼとり地蔵」という石地蔵があります>との記載がありました。春日神社そばの石地蔵を頼りに横浜市栄区小菅ヶ谷地区の春日神社を訪れました。栄区小菅ヶ谷地区は横浜市の南端に位置し鎌倉市岩瀬の北側にあります。
春日神社鳥居のすぐ東側の古くから住んでいそうなお宅を訪問して、お住まいのお年寄りのご夫婦に近くにいぼとりの石地蔵がないかと尋ねました。御主人は昔、地蔵さんの移転に立ち会ったことのある方で、その石地蔵がいぼとり地蔵ということを聞いてはいないが春日神社のそばの石地蔵はそれしかないといって場所を教えてくれました。石地蔵のお堂は宮ノ下の信号機を北に進み、小菅ヶ谷幼稚園前交差点の信号機の西側にありました。
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小菅ヶ谷3丁目小菅ヶ谷幼稚園前
の交差点にある昔いぼとり地蔵
として信奉された石地蔵さんのお堂 |
地蔵の後ろの石碑には1647年(正保4年)施主田中とあり、明治時代に田中を田村に改姓して現在にいたったとありました。地蔵堂の天井の角材には施主田村三郎・栄区小菅ヶ谷町722のサインがありました。石地蔵は神奈川県下で2番目に古い石地蔵でこの近くにある前山の「やぐら」に昔あったものをここに移転したとの記載がありました。「やぐら」は鎌倉独特のもので山間や寺院の一角などのぽっかりと口を開けたように見える洞窟のことで中世の墳墓のことです。
石地蔵がいぼとり地蔵である証言を得ようと思い、小菅ヶ谷幼稚園の向えに古くから住まっていそうなお宅の中年の男性を取材しました。その方のお話では、お祖母さんからもいぼとり地蔵の噂は聞いたことがないとのお話でした。さらに近所に住んでいそうな犬を散歩させていた中年の男性にもいぼとり地蔵のことを尋ねましたがその証言を得ることが出来ませんでした。
小菅ヶ谷幼稚園前交差点の東側のお宅に尋ねたところ、地蔵堂の西側の小高いところにある大きなお宅に施主田村三郎さんの奥さんが現在もお住まいとのことでした。しかし生憎その日は奥様がお留守でお会いして確認することが出来ませんでした。そこでいぼとり地蔵の記事をのせている栄区役所の広報相談係にメールしたところ、次のようなご返事を頂きました。
平松様
お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。 お問い合わせの件についてお答えします。 区内で郷土史を研究している会によると、この地蔵は「延命地蔵」で、供養のために造立されており、「いぼとり」に関する縁起のようなものはないそうです。しかし、古くから地元に住んでいる方々に伺ったところ、“この地域では、「いぼ」ができたら小石で「いぼ」をなで、お地蔵さんの前にその小石を供えて祈ると「いぼ」が取れるといわれており、お地蔵さんの前には小石がたくさん積まれていた”ということだそうです。(栄区役所広報相談係)
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訪問時お地蔵さんの前には小石は一つもありませんでしたが、昔沢山の石が積まれていたのならばまさにいぼとり地蔵さんです。一度は没にしようと思ったいぼとり地蔵を表舞台に登場させることにしました。お近くにお住まいの伝染性イボにお悩みの方はこの石地蔵さんにお願いしてみて下さい。早くイボを取りたい方は皮膚科専門医での治療と併用することをお勧めします。(2001・6・7公開)
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移転した延命地蔵(いぼとり地蔵) |
訪問時には小石の奉納は
ありませんでした。 |
小菅ヶ谷のいぼとり地蔵へのアクセス→Google Map
JRにて
JR東海道本線の大船駅で乗り換えて一つ目のJR根岸腺の本郷台駅に下車し、駅前から500mほど北へ歩いて長光寺前で右折して坂を登ります。東方に250mほど歩いたところが宮ノ下交差点の信号機で、そこを左折して250mほどで小菅ヶ谷幼稚園前交差点に着きます。交差点の西側の道路に面したところにいぼとり地蔵の石地蔵さんのお堂があります。
マイカーにて
国道1号線の横浜市戸塚区原宿町交差点⇒県道23号線(原宿六ツ浦線)⇒鎌倉女子大前交差点⇒県道21号線(鎌倉街道)⇒桂町交差点・左折⇒JR本郷台駅前⇒長光寺交差点すぎで右折⇒宮ノ下交差点で右折⇒小菅ヶ谷幼稚園前交差点。信号機の西側に道路に面していぼとり地蔵の石地蔵のお堂があります。
アイじゃぱん18 鎌倉を歩く るるぶ社国内ガイドブック編集部編 JTB発行 2000年12月1日初版
県別マップル神奈川県広域詳細道路地図 昭文社発行 1999年1月第3版8刷
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