静岡医師会のS先生に昨年末に「いぼとり神様・仏様」(2005年12月発行)を差し上げた時にいぼ神様に大変興味を持たれたとのお礼の葉書を頂きました。 そんなことをすっかり忘れていたのですが1年近くたった先日S先生から大きな封書が届きました。開いてみるといぼ神様の永田徳本のお墓と辻沢のいぼ神様の写真でした。 永田徳本の籃塔はネット検索で見つけたものでいぼとり神様・仏様の全国リスト(555か所)に名前と住所だけを掲載したいぼ神様でした。 サイトいぼとり神様・仏様の全国リスト(1)〜東日本には名医・永田徳本のページをリンクしていたのですがこの度写真を頂いたのでイボ神様永田徳本の1ページを作成して、頂いたいぼ神様に追加しました。 永田徳本は薬嚢を首にかけ、牛にまたがり「甲斐の徳本、一服十八文」と呼んで諸国を漫遊したと伝えられ、また将軍様を診察した時には将軍様からの褒美の品を一切断り十六文しか頂かなかったというお話も残っています。徳本先生は1630年(寛永7年)に118才で亡くなったといわれています。ところで株式会社トクホンのネーミングは徳本先生といわれています。(十八文、十六文は文献により違いがあります。)
人生の最後は岡谷に住み、東堀の尼堂墓地に葬られました。永田徳本のお墓は、説明書などには永田徳本の藍塔となっていますが、S先生が聞いた岡谷市教育委員会の方のお話では籃塔が正しいとのことです。日本国語大辞典第2版13巻と大漢和辞典巻八と巻九を調べてみました。藍は青色の染料のあいあるいはぼろ、ぼろきれあるいはみだすという意味の字ですが寺・寺院の伽藍という言葉もあります。籃は竹のかご、かごの意味の字です。かごのような塔という意味でしょうか。 永田徳本のお墓には沢山の石が詰まっています。この石を借りていき、イボをこするとイボが治るというオマジナイ的なしきたりがあります。 イボが治ったお礼は石の倍返しとのことです。全国的に石でこするとか撫でるとイボが取れるというおまじないは多いのです。 (2006年10月末記) 2007年のお盆休みに有名な徳本先生のお墓を訪問することが出来ました。以下の写真は尼堂墓地で2007年8月14日に撮影したものです。墓地は県道14号線の花岡という酒屋さんのそばの東堀正八幡宮(柴宮)の裏にありました。目指す永田徳本の籃塔は尼堂墓地の奥のほうにありました。
永田徳本の籃塔へのアクセス→Google Map
岡谷市ホームページ
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