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いぼとり地蔵(春興院)
愛知県豊橋市石巻本町嵯峨15
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ネット検索をしてみると「東三河ちゃいるどホームページ」の「校区に伝わる昔話」の中に「おまさを助けたいぼとり地蔵」のお話がありました。昔話は今から300年くらい前のお話で『和田村の春興院のほとけ長屋には、いぼとり地蔵様がいらしゃいます。名前のとうりいぼとりをしてくれると、村人たちはこの地蔵様のところえ来ては、「どうかこのいぼを取ってください。お願いします。」といって手をあわせて熱心に祈りました。そうすると、あらあら不思議。いつの間にかいぼが取れてしまったというのです。いぼが取れると、お礼のしるしとして、松かさをひもでつないで、お地蔵様の首にかけてあげるのです。〜〜〜』とありました。
調べてみると和田村は江戸時代には豊橋藩領554.377石と春興院領5石と椙本八幡社領3石からなっていて明治8年(1875年)に和田村になりました。明治11年(1878年)に4村が合併して玉川村になり、明治39年(1906年)にさらに合併して石巻村になりました。昭和30年(1955年)に豊橋市に編入されました。春興院は昭文社の愛知県の地図を見ると掲載されていましたので早速娘の車に乗せてもらってお盆の8月13日に訪れました。国道362号線の和田辻交差点を県道81号線を400mほど北上したサークルKと向いの石寅本店手前で左折して西方向に向かい300mほどのナイトー治療院を過ぎたところで右折して100mぐらいの3つ目を右折して北上すると春興寺山門前の大駐車場に着きます。
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曹洞宗春興院の山門 |
山門から入った正面に御本堂 |
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御本堂の向かって左隣にほとけ長屋 |
右に見える地蔵はいぼとり地蔵ではありません |
春興院は曹洞宗のお寺で永禄・元亀時代(1558〜1573年)に渡辺氏の和田城があったところです。山門を入った正面に御本堂があり、本堂の向かって左側にほとけ長屋という仏様などが集められたお堂があります。お寺の若奥様のお話ではほとけ長屋の向かって右隅にある役の行者像の後ろの石像がいぼとり地蔵とのことでした。昔話どうりでいぼが取れたお礼に松かさの首飾りを奉納するとのことです。訪問時には松かさを片付けてしまったとのことで松かさの首飾りはありませんでした。近くの静岡県浜松市西区神が谷町の洞雲寺のいぼとり地蔵さんも同様で松かさの首飾りを奉納する民俗学的風習がありました。(2008年8月15日記)
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ほとけ長屋の右隅にいぼとり地蔵 |
庚申様の右、役の行者の後ろがいぼとり地蔵 |
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役の行者の後ろがいぼとり地蔵 |
いぼが取れたら松かさを奉納します |
豊橋市ホームページ
ブログ「いぼとり神様・仏様」〜春興院の大駐車場の写真があります。
東三河チャイルドホームページ〜東三河の沢山の面白い民話が掲載されています。
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