![]() 江戸時代後期に近代日本地図の基礎を築いた伊能忠敬(1745〜1818)は、隠居後の50歳になって幕府天文方の高橋至時に入門し、天文、測量術などを学びました。そして55歳から実に17年間にわたって全国の海岸線や街道を歩いて実測し、我が国最初の実測日本地図「大日本沿岸輿地全図」」(「伊能図」)を完成させました。その「伊能図」は実測の緻密さにおいて19世紀初頭の世界水準を示すものとして高く評価されています。(MOA美術館のパンフレットより) 2001年6月、ワシントンDCの米国議会図書館で発見された伊能大図(明治時代の写し)の初公開を始め、国内外の伊能図の優品、当時の測量機器、関連資料などの展示を静岡県熱海市にあるMOA美術館に見に行きました。 会場で伊能忠敬研究会代表理事 渡辺一郎(わたなべいちろう)著(河出書房新社) 【図説 伊能忠敬の地図をよむ】 を手に入れました。さらに静岡県立中央図書館で東京国立博物館所蔵伊能中図原寸複製 【伊能図】(監修 日本国際地図学会 伊能忠敬研究会)(武揚堂)を借りてきました。本に出てくる言葉は専門用語など読みにくい用語がたくさんあります。最近伊能忠敬に関する書物を数多く見かけますので「伊能図 用語読み方辞典」を作成しました。 伊能図は大日本沿海実測図で伊能忠敬およびその後継者らが幕命により1801〜1821年の間に測量・編集した地図です。 ○伊能忠敬生誕の地 1)上総国山辺郡小関村(かずさのくにやまべごおりこぜきむら)(注)伊能図P240より (かずさのくにやまべぐん〜)と記載のWEBあり 関係者に聞いてみると(かずさのくにやまべぐん〜)の方が一般的のようである。 2)千葉県山武郡(さんぶぐん)九十九里町小関村(こぜきむら)(注)伊能忠敬の地図をよむP44より 3)現在は山武郡(さんぶぐん)九十九里町(くじゅうくりまち)小関(こせき)(注)伊能図P5よりまたは九十九里町片貝(かたかい)伊能忠敬の地図をよむP44より(小関・片貝の読みはゆうびんホームページで調査)ともある。 (制作 平松陽子) ![]() (注) ○村に関しては原本にルビがないものはそのまま村としるした。 ○同じ本の中でも描く(かく・えがく) 天文方(てんもんかた・てんもんがた)等違う読みがある。参考に両方記載 ○人名の?はたぶんそう読んでいたであろうという意味で関係者に聞いた。 ○読みで疑問の時には日本国語大辞典及び専門のWEBで調査した。 地図用語読み方辞典へ(音訳の部屋) ![]() 東京国立博物館所蔵伊能中図原寸複製・伊能図 監修 日本国際地図学会・伊能忠敬研究会(武揚堂) 2002年6月1日 2版第1刷発行 図説 伊能忠敬の地図をよむ 渡辺一郎著(河出書房新社) 図説 地図事典(武揚堂) 日本国語大辞典(小学館) フレームのない方は下記のリンクをご利用下さい。 目次・あ行・か行・さ行・た行・な行・は行・ま行・やわら行 |